入試が終わり、高校を卒業してから何の目的も無く過ごすことのできる春休みの
時の事です。
自分のまわりでは自動車の免許を取るやつがたくさんいたが、高校時代の仲間だった私とモチーとヤスマサの 3人は、電車で旅行に出かけることにした。
その旅のことをキャンプと言っていたかどうかは記憶にないが、これをきっかけとしてその後何度か出かけた旅は
、はっきりキャンプと意識していたことを覚えている。
入念な計画など全くしないで、日取りを決め、持ち物を適当にかき集めるだけの簡単な計画
と準備だった。
とは言え、キスリング(黄色の帆布でできた大型のザック)を背負ってキャラバン(シューズ)を履いて、母校の中学から借りてきたテントを担いで
出かけると、装備はそこそこ一人前だったと思う。
このような装備をなぜ持っているかと言うと、高校の時のクラブで富士山登山に行く時に準備したものだ。(私はその富士山登山の直前になって行けなくなってしまったが、装備
だけは準備してしまったので持っていた。)
話を戻すと、その時の行き先は決まっていた。「和歌山のほう」だった。当時は滋賀県の彦根に住んでいて、友達だけで近畿圏から出るのは始めてのことだった。「和歌山のほう」というのは、できるだけ南に行ってみようという 単純な発想だったと思う。
出発直前になってヤスマサが都合で行けなくなった。でも、残った 2人の気持ちが変わることは無かった。「2人でも行こう」だった。
電車に乗って大阪まで行き、乗り換えて天王寺まで行く。さらに乗り換えて和歌山を目指す。あとは行けるところまで行こう。2人だけの電車の旅も悪くは無かった。おたがい気
心の分かった仲なので何も気遣うことは無い。くだらない話題に笑いながら、そろそろここらで降りようかと腰を上げたところが、たまたま「尾鷲」という駅だった。
その時は気づかなかったが、「尾鷲」と言えば和歌山どころか、すでに通過して三重県に
入っていた。
電車を降りた 2人は目的も無く歩き出した。方向だけは海の方と決まっていた。理由は
単純で、「釣り」がしたかっただけである。
ぼくら 2人は釣りキチでもあった。モチーの釣りキチは相当なもんで、白戸三平氏の漫画「釣りキチ三平」をバイブルにし、明けてもくれても釣りをしているヤツだった。夜中
の 3時頃に単車で出かけて待ち合わせをし、琵琶湖のほとりで日が昇るまでフナ釣りをした事がある。
2時間くらい入れ食いが続き、持ちきれんばかりのフナを釣って帰り、飼っていた猫に食わせるのが習慣だった。
私自身は川で取れる魚が嫌いで、自分は食べなかった。毎日魚をたらふく食わせると、猫は巨大化する。
と言っても想像できないだろうから脱線はこれくらいににしておく。
(* 脱線1)
海にたどりついた時には、もう日は沈んで暗くなり、波の音が少し聞こえていたのと、
街灯の明かりが水面の様子をうっすらと見せてくれていたぐらいしか確認できなかった。
さっそく 2人はテントを張り始めた。最近のテントと違い生地も布にしっかり防水がしてあり、とても重く、綺麗にピンと張れるようなものではなかった。とりあえずテントを立てて、くだらない話をしながら、疲れていた 2人は
すぐに寝た。
夜中から雨になったようだが 2人は熟睡していたのか、そのことに全く気がつかなかった。気がついたのはテントの底に敷いたグランドシートに水が入ってきた時だった。2人はその状況に気づき 、「やばくないけ?」と思ったかどうか、お互いに見つめあった。
* 脱線2:当時のテントは屋根と幕だけで、底にはシートのようなものを敷いていました。現在のドームテントのように底がつながっていないので、水が入ってくると言うのは、染みてくるのではなく水浸しになることを意味している。この時の状況はグラランドシート の下に波が押し寄せてきて、まだプカプカしている状態で水浸しにはなっていない。
* 脱線3:「やばくないけ」ですが、私の田舎では、クエスチョンマーク(?)の付くような
会話の場面で、最後に「け」をつけるのです。「知っとるやんけ」はちょっと違う。「ほんまけ」は同じ。分かるけ?
だんだんと水がグランドシートの下に入って押し上げてくる。これが波だと気づくまでに少し
だけ時間がかかった。それが波だと分かった時は、これは本当にヤバイと思って、荷物をまとめて着のみ着たままでテントから飛び出した。 外はものすごい雨になっていた。風もすごい。それにすごい波が押し寄せていた。外から見ていると、テントのペグやロープは大半が侵食されてい て、テントがたっている
のが不思議なくらいの大荒れ模様だった。
幸い(後でそう思ったのだが)近くに洞窟らしい場所があった。そこは 2人が何とか入れそうな空間である。そこに体を入れてテントの方を 2人で見つめていた。明かりは懐中電灯とろうそくで取った。裸足にはろうそくの火で暖を取った。まるでマンガの世界のようだ。 ろうそくが本当に暖かいかどうかはよく覚えていない。でも 2人に遭難しているなどという自覚は全く無かった。
残念な事だが、テントは 2人の見ている前で、波にさらわれて持って行かれてしまった。僕たちには何もできることは無かった。何時間位過ぎたか覚えていないが、周りが薄明るくなるまで寒い寒いといいながら 2人でやり過ごした。今、同じ状況なら「ウィルソーン」と叫んでいたかもしれない。
* 脱線4:「ウィルソーン」の意味が知りたければ Cast Away という映画を見ましょう。
明るくなってきた頃に雨はあがっていた。そのとき、自分たちの置かれている状況に
始めて気づかされた。
テントを張っていた場所の海とは反対側に高い堤防の壁があった。どういうことかと言うと、堤防の下の浜辺にテントを張っていたのである。まだ状況が分からない人の為に説明 をすると、堤防は波を防ぐ為にあり、その堤防の下
と言うのは、水に完全に沈んでしまう可能性のある場所である。たまたま逃げ込んでいた洞窟も、
十分沈んでしまう場所だ。こんなもんで済んで本当に運がよかったとしか言いようがない。
その時、なぜか 2人は釣りを始めたことを今でもよく覚えている。魚を 2匹釣り上げたこともよく覚えている。ただこの状況でよく釣りができたなぁと思うが、その経緯については全く思い出せない。
そうしているうちに、沖の方の波が砕ける場所でテントらしきものが波にもまれているのが見えた。2人はリールを投げて引っ掛けたら引き上げられるのではないかとどちらからとも無く言って 、リールを投げ始めた。幸い遠投用の仕掛けをつけていた。何回投げたか覚えていないが、目的のある釣り?は楽しかったことだっただろう。結局テントはうまく引き上げることができた。その時にリールの糸の長さで距離を確認したが 、軽く 100m 以上はあった。これもマンガみたいな状況でしょ? その時釣った 2匹の魚についても、今もはっきりと覚えている。カサゴとベラだ。その場で図鑑で確認したので間違いない。
かくしてテントは無事に戻ってきたが、砂浜に打ち込んだペグは結局 1本も出てこなかった。
そして 2人の旅?は終了した。来たルートをたどって帰路につき、夜中遅くになって無事に到着した。翌日は何事も無かったかのよう な普段の生活に戻り、中学校から借りたテントも、ペグがほとんど残っていないまま中学校に返却をした。この話をネタにして、いろんな人に話すということもあまり無かったと思う。 そう言えばこんなことがあったなぁと 20年以上も前の記憶を元に、初めてここに書き留めてみた。
この時、誰かの世話にもならなかったし、人に迷惑をかけることもありませんでしたが、ひとつ間違えると大変なことになっていたかも知れないという事は、大人になった今、思い出して
あらためて反省している。
あのあたりは、今はどうなってるんだろう?パソコンで電子地図を見ると、尾鷲港としてづいぶん手が入っているようで、もう
その風景は残っていないかもしれない。もう 20年も前のことですから。
その後も、夏休みや春休みになると、私とモチーとヤスマサの3人で、時にはタカユキも
誘ってこのような旅行に出かけた。ヤスマサが自動車を持っていたので、それで出かけるようになっていた。テントも自分たちで購入した。市内のスポーツ店で 7000円位だったと思う。3〜4人用のナイロン製でフライシートが付いていたのを覚えていいる。
能登半島の蛸島を目指し、そこから白衣海岸の方面に行ったなぁ。うっ!またいろいろ思い出してきた。愛知方面にも出かけたなぁ。うっ!またまた、いろいろ記憶がよみがえってきた。また機会があればお話したいと思うが、本当によい時代でもありました。
(しみじみ)
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